少年時代から示されていた人生ハードモードへの道しるべ

はるか昔の少年時代、私もその辺の子供たちとなんら変わらない虫取り少年だった。
そしてそんな自分のために父親が結構厚めで少年には難易度が高いカブトムシとクワガタムシの本を買ってきてくれた。
あまり難しくて内容などほとんど覚えていなかったが世界中のカブトムシやクワガタムシの紹介だったり家で育てる際の詳しいやり方などが書いてあったと思う。
その本の中で今でも覚えているのはクヌギの木の樹液をめぐってカブトムシとクワガタムシが戦争するマンガだ。
最初はクワガタムシの軍勢にやられてしまうカブトムシ軍なのだが再戦して勝利しクワガタムシを追い払ってめでたしめでたしというストーリーだった。
リアルな虫の描写なのに普通に人語を話すのがとてもシュールだった(笑)
作中ではクワガタムシはいかにも侵略者っぽい立ち位置で高飛車なセリフもいかにもという感じなのだがなぜか自分はとてもクワガタムシに情が湧いてしまった。
この漫画に限らずカブトムシとクワガタムシが出てくる場合、だいたいカブトムシが主役格でクワガタムシがやられ役となることが多いのは事実だろう。
そしてバトルとなればカブトムシが角をクワガタムシの腹下に差し入れてクイッと角を上げて投げ飛ばして勝利となるのがお決まりのパターンだ。
自分がどうしてクワガタムシが好きだったのか…おそらく単なる好みの問題ではないのだと思う。
きっと自分は「いつもいつも理不尽にやられ役をやらされるクワガタムシがかわいそう。いつか絶対勝ってほしい。」という思いがあってクワガタムシを好きだったんだと思う。
この少年時代のクワガタムシ好きが今の自分の性格を築き上げてきたに違いない。
なにせ自分は関ケ原の戦いでは西軍が大好きだしプロ野球は巨人以外の球団を応援していた。
ガンダムで一番好きなキャラは不遇の主人公シン・アスカ(笑)
自分の弱さが敗北の美学にひきつけられるのか?

総じて、報われない存在が好きだ。
自分は心理学者ではないので詳しいところはわからないのだが推測するに自分を他の負け組と重ね合わせてみているのかもしれない。
つまり、敗者を応援しているようでいて自分自身を応援している。
敗北の美学を求めているようで自分の幸せを求めている。
ここでふと考える。
自分が弱いから敗北の美学にひきつけられるのか、それとも敗北の美学にひきつけられると自分が弱くなるのか。
自分は小学生のころよくいじめられていた。
いじめられる授業の休憩時間は嫌だったし体育の2人組み作りにもいつも苦労させられた。
カブトムシとクワガタムシのお話はそんな時分に見たお話だった。
結局のところどちらも正しいのかもしれない。
自分が弱いからクワガタムシに惹かれたのだしそんな自分の気持ちの在り方が自分を弱いままにしてしまったわけでもある。
自分が努力して勝利するのは大変な道のりだから負け組に組みして傷をなめあう道を選択したのだ。
いや、一人で勝手になめただけ。
独りよがりの連帯感にすぎない。
人生をイージーモードを変えられるとして

人生ハードモード。
実は自分はこのフレーズが好きだ。
だからいかなる苦難に叩きのめされてもコンティニューをし続けて。
無理ゲーだった人生をゴリ押しでひっくり返せるとして。
はたして自分は人生イージーモードに設定するボタンを押せるのだろうか?
みんながみんな人生イージーモードにするために努力している中でこんなことを考えるなんて本当に自分はダメだなとは思う。
でも、昨日と今日とは違う日。
今までの自分を変えたくて始めたブログも気づけば5か月目に突入した。
収益0円のままという厳しい事実を考えると自分にここまで継続する力があったことにちょっと驚愕する。
まだ、ゲームオーバーには早い。
いつか絶対人生ハードモードをクリアすると誓いつつ今日のブログを終えることにする。
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